古い古~い財布から出てきたのは「外環の回数券」
ETC全盛の、それも次世代型に切り替わり始めているこの時代に「回数券」www
もちろんとっくの昔に「使用中止」になっているのですが、現物を目にするとなかなか感慨深いものがあります。券片右側の「ヤレ感」もなかなかであります。
「外環」が供用を開始したのは1992年の冬。
その頃の区間は「三郷」から「和光」まででした。従って、高速道、首都高速への連絡は「常磐道・三郷線」と「東北道・川口線」のみ。まだまだ「環状線」としては不便でした。
約1年後、「美女木ジャンクション」が設けられ、延伸された首都高「池袋線」に連絡します。ところが、全国でも珍しい平面交差は「交通事故の発生の蓋然性が高い」との理由で、埼玉県警は次の組み合わせの連絡以外を認めませんでした。
首都高5号池袋線 → 外環道大泉方向(左折する)
外環道三郷 → 首都高速5号池袋線方向(左折する)
外環道大泉 → 首都高5号池袋線(右折する)
残念なことに、首都高5号池袋線 → 外環道三郷方向への右折は認められず、一旦一般道に降りる必要がありました。
「戸田南」から国道17号バイパス~「美女木八幡」交差点を右折して国道298号~「戸田東」で外環道に入る・・・ワケです。
当時このルートを使うことが少なかった私はそれ程不便を感じませんでしたが、まだまだ便利とは言い難い時代です。
その半年後には「大泉」まで延伸、いよいよ「関越道」に連絡します。
使い勝手が飛躍的に向上しました。
その4年後の1998年には、首都高池袋線から連続する「埼玉大宮線」が開通。
懸案であった「美女木ジャンクション」の十字交差が解禁されます。
大型のLED信号機の設置や、ジャンクション内を時速30キロ制限にする等の安全策が講じられました。
全国で唯一の「信号機が設置されているジャンクション」の登場です。
この項、次回に続きます。